カテゴリ:法子ブログ( 457 )

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最近、朝起きたら一番にすることは、お抹茶を点てて頂くこと。もう半月位続いています。丁度それを始めた頃に愛媛から友人が訪ねてきてくれて、美味しい和三盆の小さなお菓子を下さり、それを毎日一つずつ頂くのも楽しみで続いています。今日は雨も上がり風も爽やかだったので、二階のお座敷に座り、庭の観音様を見つめながらお茶を頂きました。

瞑想しようと頑張らなくても、あ、自然に瞑想モードに入っている!そう思った瞬間、以前このブログに瞑想とお茶についての文章を書いたことを思いだしました。探してみたら10年以上前の文章でした。丁度東京で瞑想のワークショップをした後に書いていたようです。

この頃は、自分の体験や意見やお勧めの事などを、素直にまっすぐに文章にしてたな、となつかしく思いだしてもいました。

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9月にあった瞑想のクラスの音声をタイプしながら、
あらためて、瞑想について思いをめぐらせています。

瞑想というと、決まった形やしきたりがあって難しいと
思いがちですが、私はシンプルに「頭から心に戻る方法」
だととらえています。

それぞれの人が自分にあった「心に戻る方法」を見つけて
日常の暮らしの中で使っていくことができますように、
私の好きな「心に戻る方法」を書いてみたいと思います。

1. 「頭から心に戻る方法」を見つける

あまりに頭が忙しくなりすぎると、ただ座って瞑想しても、考えが続くだけ....という時がよくあります。そんな時私は、お抹茶茶碗をおもむろにとり出し、お茶を点てます。

お台所でお湯をわかし、道具やお茶をとり出しながらいつもより少しだけ、日常のお台所仕事とは違う営みに変えていきます。この少しだけの非日常というのが、私にはしっくりくるような気がしています。

お茶筅がしゃかしゃかしゃかと音をたて、竹の香りとお抹茶の香りが溶け合い、鼻の奥にぽわあんと香りがひろがる。

床に座って、さて一服味わいます。お茶碗を両手にかかえて、あたたかさと土の感触をじんわり味わいながら一口頂くと、ふわあっと肩の力が抜けていきます。がらがらがらと、城壁が崩れる感じがする時すらあります。

音や香り、ぬくもりや味わい、感じることが一度によみがえってきて、目を使って考えてばかりの世界から、意識がすっと下におりてきて心に戻る。着地する。これでひと安心。

私の場合は、感覚を感じながら何かの動作をすることが、頭を離れる一番の薬になるようです。みなさんはいかがでしょうか?

掃除をするというのもいいかもしれませんね。12月に入りお掃除の機会も増えますし、すべきことに追われて忘れがちな心を、この12月は何かをする動作が心を思いださせてくれることになるよう、変えていきたいなと思っております。

2. 「見立て」

日常生活の中でできることが大切なので、少し非日常の「お抹茶をたてる」の場合は、道具がないから...とあきらめてしまいがちですが、大丈夫です。

お抹茶茶碗は大きめのお茶碗やご飯のお椀、
カフェオレボールなんてのがあれば、完璧。
茶杓はスプーン(竹とか木製がいいかな)、
なつめは、お気にいりのジャムの空き瓶などで、
ひしゃくは、これも竹とか木製のおたま。
(金属は味が変わりそうな気がするので。)
もしくはやかんのお湯を(少し冷まして)そのまま注いでも大丈夫。
お茶筅は泡立て器で...というわけにはいかないので、竹のお茶筅をお茶屋さんで購入(1500円くらいだったかな)しましょう。

和室がない、床の間がない?  大丈夫です。お座布団が一枚あれば、そこがあなたの茶室。あなたが座ってお茶を頂くその空間こそが、あなたにとっての茶室。聖なる空間。

Wherever you sit and enjoy tea, you create your sacred space for tea.

見立ての世界、イマジネーションの世界こそが、お茶の世界の本質でございますのでね。

3. 花嫁修行

昔はお茶やお花は、花嫁修行(なつかしい言葉ですね)とされていて、現代っ子の私は、結婚した後お抹茶をたてて、床の間に花をいける生活なんてくるのだろうか?と訝っていましたが、

予測通り今は、完璧なお茶の世界のしつらえの中でお茶を点てることはないけれど、お茶を通して身についた気づきのエッセンスは、今の私を支えてくれている何よりの薬となっています。

一服のお茶を味わいながら、お稽古の時の静寂なひととき、実家のお座敷の光景や、お湯がしゅんしゅんわく音、少女の頃の思いまでが両手のぬくもりの中に、一瞬にしてよみがえってくることもあります。

瞑想という言葉は知らなかった少女の時。30年後の世界がこんなにもめまぐるしい変化の時になるなんてことは、あの頃の想像を超えていたでしょうが、何故だかわからないまま魅力を感じて身につけていたことに、今しっかりと守られています。花嫁とやらになった覚えはないけれど、感性もからだもやわらかい間に、茶道という名の「型」の中に身をおき、身の中に「型」をおいていった体験は何よりの宝になっています。

4. 伝統とその教えの源に感謝を

修行といっても、もちろんその頃は修行だなんて思ってもなかったでしょうし、日本の文化が好きでお茶やお菓子やあの空間が好きで、その中でこつこつと、からだや感覚を通して「遊びながら身につけた」ことが、今振り返れば修行になっていったわけです。

禅寺にこもらなくても、日常と非日常の間を行き来しながら、心の眼を開く修行の形をこのようにさりげなく残してくれている、日本の文化をとても誇りに思います。

茶道のもともとはある星からやってきた教えだという説もありますので、その星の方々と日本に心からの感謝を捧げながら、今日も一服のお茶を頂いております。

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隣のブログの最後の締めくくり、「驚くような喜び」が
今日じんわりとやってきてくれた。

といっても、始まりは数日前の悲しみから始まって、
今日は自分ではどうしようもなくなって、ハイヤーセルフにHELPを出した。

助けを求めるといつでも応えてくれる。なのに、助けを求めることを忘れていた。

今日はハイヤーセルフが「自分自身の姿」として登場。

とても、そのことがしっくりときた。

「私に会いたい」「私に話をきいてほしい」その気持ちが最初から強かったから。

アーキエンジェル〜や、光にメッセージを頂くのがよい時もあるのだけれど、
今日はそうではなかった。

本当に普段の自分。ハイヤーセルフだからといって、純白のドレスに王冠をかぶった私でもなく、普段着の素顔の私。

二人でお茶をした。それが何より心地良かった。

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海が見えて、向こうの方に光が見えた。とてもとても美しく輝いていて、
その美しさに涙した。

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「こうして、この光を美しいと感じるための今までだったんだよ。」

その言葉に又涙した。

セッションを終えて、忘れない内にタイプしておこうとMacをひらけ、
何げなく見たメッセージが

スザンヌ・リー
「人間であるという習慣を手放す-アルクトゥルスからのメッセージ」
だった。

あなたをガイドし、あなたを守ってくれる「高次の存在」は実はあなたなのです。

あなたが自分を無条件に愛することを思い出す時は、
どうぞ心にとめておいてください。
あなたは、あなたを無条件に愛している存在そのものであることを。


あまりにタイムリーで、また泣いた。

前の体験があったからこそ、このメッセージが魂ごと響いた。

スザンヌ・リーさん、Riekoさん、アルクトゥルスさん達ありがとう。

そして、私にありがとう。

あ、もう一人忘れてはいけない。こうしてハイヤーセルフに自分で会えるところまで導いてくれた、Flintにありがとう!

ガイドライト
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今晩、間もなく新月がおころうとしている前に、やっぱり10月のことを書いておこうと思い立ちました。

この10月、特に後半は大切な(大変な)時期だったのだなと、ようやく自分の中で認められるようになりました。

今回は何故だか予期せぬ、わかりにくい大変さだったように思え、それが何故だったのだろうと書きながら明らかにしていっておりました。

微かな違和感から始まって、つらいと感じている部分とそれに対してワークしている自分、気づきをもたらしてくれる自分。様々な自分の統合が、今回のテーマだったように思います。

自分の中の幾つかの側面が同時に存在している中で、どこかを切り捨てないこと。
そして、その部分に耳を傾けつつも振り回されないこと。
どの部分にどれだけ焦点をあてるかを、意識しておくこと。

あたり前なのだけれど、「つらがっている自分だけを自分としてとらえると、ものすごくつらい」わけですもんね。

違和感を感じ始めた時は「またか〜、プロセスが始まるのか」と、ちょっとうんざりもしましたけれど。

これまでの体験を重ねてくる中で、いくつかの側面を見分けて統合する力もついてきているようです。

今日ふと「アセンション」と「死」、「移行」というテーマの中で、フリントが繰り返し話していた、「身体を持ったままのこのプロセスだからこそ、大変なのだよ」のその大変さを、実は深いレベルで体験していたのがこの10月だったのでは、と思うようになりました。

体験をシェアすることに「もういいのでは?」と思うようにもなっていたのですが、隣に書いたように、まとまらなくてもやっぱり書くことは続けたいなと思い直しもしました。

これを書き始める前と後とでは、おきた体験ががらっと変わってしまいましたもの。
(一度書いたものを、違うと気づいて書き直しまでしたのでした。違和感って大事ですね)

無理に意味づけをする必要はないのだろうけれど、書くことで体験からエッセンスをすくいあげることは、やっぱり好きなことだなとあらてめて実感しております。

10月からの流れは急にとぎれたわけではないようなのですが、やはり今日の新月で「新しい扉があく」とのこと。

先月はつらさの感覚が予期せずやってきたけれど、驚くような喜びもきっとやってくるはず。

いやいや。ただ待つだけではなくて、喜びを予期して生きていくのを選ぼう。

Bless The Present - Trust Your Self - Expect The Best
今という時を祝福し - あなた自身を信頼し - 最善を期待しよう

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いつの頃からか、体験に文章が追いつかなくなってしまった。

以前は暮らしの中で気づいたことをブログに書く。その時間を持つ事が楽しく、書くことで整理をしていけた。

今、気づきが瞬時におこり、その次の瞬間に違うことに意識がむいている。

気づきを保持するどころか、考えてることの保持が難しい。

単なる注意力散漫!なのだろうか?

今朝は朝食の席で、ドレッシングをとろうと立ち上がり歩きだしてから、
何の為に歩いてるのか忘れてしまう。おいおい。

昔はどうしてあんなに、色んなことを覚えていられたのかと思うくらい。

かと思えば、この水星逆行in蠍座。

記憶のフラッシュバックが激しくおこり、その見つめ直しもおき、
どっしりと、また海底にもぐったりもしておりました。

あまりにつらいので、内なるワークをたくさんして、
「なるほど、そうだったのか」と思うことも多々あり、思ってもみなかった見通しがついてくる。というありがたいこともおきつつあります。

が、どうしても落ち着いてそれを文章にまとめていけない日々でした。

自分のジャーナルには、まとめきれない覚え書きばかりがたまっていく。

「まとめる」ということ自体が、何か変わってきているのかなあ。

つぶやきのブログでした。
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お隣の記事の続きで。

先ほどふとこの本のことを思い出しました。

「いやいやえん」

大好きなお話でした。挿絵もよかったです。

何故この本を思い出したかと言いますとね、
昨日自分が「いやいやえん」にいれられた、しげるくんになっていたからなのです。(泣)

少し話をさかのぼりますと、上高地から帰ってきてから「風邪」をひき、
ようやくせきも出なくなってきたところなのですが、
その過程で、どんどん「喉」が解放されていくということもおきていました。

するとどうなるか、
「今まで言わなかったことを言うようになった」
いいも悪いも含めて。

それが高じて、ぶすぶすとくすぶっていた不満が、昨日は一気に出てきたのでした。

周りの人はたまったものではないのですが、
そういう時にパートナーが冷静だとありがたい。
私のその日の星回りを調べて、丁度そういう時期なのだと教えてくれました。

でも星のせいばかりにもしてられず、
いつまでも、いやいやえんにはいっていてもいけません。

気持ちを言葉にあらわす。その表し方を見直すチャンスなのだと気づいた途端、
アサーティブ・コミュニケーションという言葉をふと思いだしたのでした。

アサーティブネス(英:Assertiveness、訳:自己表現・意見表明)

ちょっと試しにやってみると、即喜ばれたのでした。
英語はその点で、やりやすいのです。

「いやいや」言ってるかわりに、「私はどうしたいのか」伝えてみる。
そして相手の言う事を聞く。

こうして書くと簡単なことなのだけれど、案外そんなところでひっかかってることも
あるのだなあと気づく秋の日でした。

いやいやえん
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明日の旅の準備をしながらも、今回のビジョンクエスト後の「私」を書き留めておきたいなという思いがわいてきております。

ビジョンクエストの最後に行う「ビジョンのコミットメント(決意の表明)」が、今回は大きな価値がありました。

この決意表明は「どこまで具体的に表現するのですか?」と、質問を受けることが多いのですが
(気になりますよね)

3年前の私は、このような体験でした。

心ある道を歩く

まさに「その時の、あなたの心次第。最後の最後に口から出てくる言葉を信頼する。」というのが一番よいのだと思います。

今回の私は、何をしたいかより「どうありたいか」というシンプルなものでした。多分私の言葉を聞かれたら、そんなのでいいのか〜と思われると思います。それがその時の私には、ぴったりだったのです。

帰ってきてから、そのことを体現するための出来事がおきていって、それが、結局は「したいことを、より自分の望む状態でする」ことへつながっていってます。

言葉の内容も大切ですが、心からの思いを言葉にのせていき、思いと言葉が一致していることが大切なようにも思います。

今思うとビジョンを言葉にすることを通して、「私はここにいます」と宇宙に向かって、高らかに宣言すること。だったようにも思います。

それがしっかりとキャッチされ、そこから波紋がひろがっていき、創りだされた現実を体験していってる2週間でした。

今日はそのまとめのような嬉しい事もあり、明日からの新月のサイクルがとても楽しみでもあります。

明日からは大阪におります。
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隣の(携帯の方は下の)おはぎの写真。
後でよく見たら、3つが整列してるなあ!
だんご三兄弟ならぬ、おはぎ三姉妹?(性別はわかりませんが)だと、一人にっこりしておりました。一番上は金色に輝いているし、何だかいい感じ。

明日からの上高地、まさに遠足前の小学生の気分で、どきどきわくわくしています。

先ほど外を歩いていて、日常のとても小さなことで
とんでもない発見があり、愕然としておりました。

3つの自己の関連で、いかに「決める」ことが現実を創りだしているか。
というか、いかに「決めてなかったか」ということに気づいて
愕然としていたのでした。

ビジョンクエスト、前夜から始まってきております。

23日は、どこかの岩の上にたってビジョンの「宣言」してるのだろうな。

22日の夜は、神殿にてお会いいたしましょう。

フリントより「23日の朝の夢なども、気をつけておかれるとよいでしょう!
とのメッセージでした。

金色に輝くおはぎの夢、だったりして。

すてきな秋分をお過ごし下さいませ!
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台風が過ぎ、クリスタルクリアーな秋空。

ここからは窓の向こうに富士山が見え、昨晩は月がその上で輝いているのを眺め
久しぶりに瞑想をしておりました。

向きを変え、あちらは上高地だなと思いを馳せながら空を眺めると
鳳凰や鳥の形をした雲達が、上高地に向かって飛翔している風景が見えます。

私の心の風景が、空に投影されているのでしょう。

今回は、実際の下見には行っていないので、
google earth で、空からの下見。
余計にリトリート前のイメージがひろがります。

2012年冬至からの9ヶ月を振り返りながら、
あの9ヶ月があってよかった。と、しみじみ思う秋の日です。

被害者意識を見直し、
古いテンプレートを解放し、
選択する責任、
そしてビジョンの実現化に向けて、
凝縮して体験してきた9ヶ月。

まだまだ古いやり方で進もうとしてしまい、
思いもかけない方法でとめが入ったりしていますが...。

今の感覚を例えると、
フィギュアスケートで、三回転半ジャンプをする前に
スピードを落として、飛ぶ体制に入る準備の構えにいるような感じで、
「上高地への出発前」を過ごしております。

上高地から帰ってきて数日後には9月25日。
私にとっては毎年節目の日。
(思い出の京都のフナ・ワークショップの日でした)

今年は14周年。ということは7年周期を2度廻ったわけで
3度目の7年の始まりを、新しい地球の新しいビジョンと共に
歩いていけますように。
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Kanaloaさんのコメントの続きで、
ほぼ日の今日(9月9日)のダーリンからです。

・東京オリンピックが決定したときに、
 すぐに、2020年という未来のことを考えました。
 そういう人は、多かったと思います。
 
 先日、パリの元気のいい若い社長にお会いして、
 いろんな話をしたのですが、
 彼女は、当然のように
 「3年先なんて誰にもわからないし‥‥」
 と、ある意味、自信たっぷりに言っていました。
 ついでに、という感じで、
 「6ヶ月先のことだって、わからないわ」とも、ね。
 ‥‥これが、妙に説得力があったのですが、
 さてさて、唐突に、日本中の人たちが、
 「わたしは、7年後になにをしているんだろう?」
 と、考えさせられることになったのです。

 いままでと同じような山坂を通って、
 7年後の未来に辿り着くとは思えません。
 3年先のこともわからないというのは、
 とてもリアルな発言に聞こえます。
 そうかといって、どんなに途中の道が変化していても、
 いまからやりとげると約束しなきゃならないことは、
 「わからない」では済まされません。
 3年どころか、7年、10年先のことでも、
 計画をしっかり組み立てて実現する必要があります。
 
 2020年の東京オリンピックが決まったおかげで、
 「3年先のこともわからない時代に、
  7年後に実現するべきことを決めておく」
 ということになったのだと思います。
 それは、政府や、大事業に関わる人から、
 平凡なひとりひとりの市民に至るまで、かもしれません。
 「わかんないけど、やることはやるよ」って、
 ものすごく難しいことにも思えるけれど、
 よくよく考えてみれば、近代以後は、
 どの時代に生きていても、
 同じことなのかもしれないなぁと思えます。
 一所懸命やればできること、金をかければできること、
 できるとわかっていることの組み合わせが、
 まず最初の出発点のような気がしています。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いつも、どこも、現場の人たちが手厚く遇されますように。

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おついでに、現在掲載中の「採用基準は誰が決める?」
(マッキンゼーで採用担当マネージャーを務めてらした、伊賀泰代さんと糸井さんとの対談)も、ふむふむとうなるものがありました。

お互いに頭を貸し合いながら、新しいものを生み出していく。
という表現がされていましたが、
この秋は、私もそのような季節に入りつつあります。
頭というか、イメージの場の方がぴったりくるかな。

ほぼ日
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8月3日。

昨日のブログから、早速にガイドライトや他のセッションのお申し込みやお問い合わせを頂き、皆様の熱い情熱が嬉しい今日でした。

8月に入ってから、今起きていることについて毎日どなたかとじっくりとお話する機会があって、その時間が本当にありがたく思えます。視界が開けていく感じが何より楽しくて。8月8日に東京を出発することにしたのですが、それまでまだまだこの状態が続く予定です。(嬉)

自分がどこにいるのかが見えなかった6&7月、もっとたどれば春分そして冬至以降から今までが、ようやくこの8月2日で一段落したともいえそうです。

8月7日 は獅子座の新月(午前6時51分 )で立秋でもあるのですね。
立秋は夏至と秋分の中間地点ですので、ここもまたよい節目になりそうです。

秋分の計画も今日天から降ってきて、なるほど!と思う地名がやってきております。

4日(日本は5日の朝ですが)はアイシャ・ノースさんのPOND(池)での瞑想集会もあるようですし、4日の朝はクリムゾンサークルのシャウドの日でもありますね。

このようなメッセージが、全く読んだり聞いたりできない時期もあったのですが、今はとても軽くそこにいける感じです。

どろどろの中をくぐり抜けていた時は見えなかったけれど、くぐり抜けたからこその透明な水の感覚が、近くまできているような気がいたします。

自分のPure Essence をもう一度思い出す時なのかもしれませんね。

第四回・POND(池)での瞑想集会にようこそ

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