今日も一服のお茶を 再び

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最近、朝起きたら一番にすることは、お抹茶を点てて頂くこと。もう半月位続いています。丁度それを始めた頃に愛媛から友人が訪ねてきてくれて、美味しい和三盆の小さなお菓子を下さり、それを毎日一つずつ頂くのも楽しみで続いています。今日は雨も上がり風も爽やかだったので、二階のお座敷に座り、庭の観音様を見つめながらお茶を頂きました。

瞑想しようと頑張らなくても、あ、自然に瞑想モードに入っている!そう思った瞬間、以前このブログに瞑想とお茶についての文章を書いたことを思いだしました。探してみたら10年以上前の文章でした。丁度東京で瞑想のワークショップをした後に書いていたようです。

この頃は、自分の体験や意見やお勧めの事などを、素直にまっすぐに文章にしてたな、となつかしく思いだしてもいました。

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9月にあった瞑想のクラスの音声をタイプしながら、
あらためて、瞑想について思いをめぐらせています。

瞑想というと、決まった形やしきたりがあって難しいと
思いがちですが、私はシンプルに「頭から心に戻る方法」
だととらえています。

それぞれの人が自分にあった「心に戻る方法」を見つけて
日常の暮らしの中で使っていくことができますように、
私の好きな「心に戻る方法」を書いてみたいと思います。

1. 「頭から心に戻る方法」を見つける

あまりに頭が忙しくなりすぎると、ただ座って瞑想しても、考えが続くだけ....という時がよくあります。そんな時私は、お抹茶茶碗をおもむろにとり出し、お茶を点てます。

お台所でお湯をわかし、道具やお茶をとり出しながらいつもより少しだけ、日常のお台所仕事とは違う営みに変えていきます。この少しだけの非日常というのが、私にはしっくりくるような気がしています。

お茶筅がしゃかしゃかしゃかと音をたて、竹の香りとお抹茶の香りが溶け合い、鼻の奥にぽわあんと香りがひろがる。

床に座って、さて一服味わいます。お茶碗を両手にかかえて、あたたかさと土の感触をじんわり味わいながら一口頂くと、ふわあっと肩の力が抜けていきます。がらがらがらと、城壁が崩れる感じがする時すらあります。

音や香り、ぬくもりや味わい、感じることが一度によみがえってきて、目を使って考えてばかりの世界から、意識がすっと下におりてきて心に戻る。着地する。これでひと安心。

私の場合は、感覚を感じながら何かの動作をすることが、頭を離れる一番の薬になるようです。みなさんはいかがでしょうか?

掃除をするというのもいいかもしれませんね。12月に入りお掃除の機会も増えますし、すべきことに追われて忘れがちな心を、この12月は何かをする動作が心を思いださせてくれることになるよう、変えていきたいなと思っております。

2. 「見立て」

日常生活の中でできることが大切なので、少し非日常の「お抹茶をたてる」の場合は、道具がないから...とあきらめてしまいがちですが、大丈夫です。

お抹茶茶碗は大きめのお茶碗やご飯のお椀、
カフェオレボールなんてのがあれば、完璧。
茶杓はスプーン(竹とか木製がいいかな)、
なつめは、お気にいりのジャムの空き瓶などで、
ひしゃくは、これも竹とか木製のおたま。
(金属は味が変わりそうな気がするので。)
もしくはやかんのお湯を(少し冷まして)そのまま注いでも大丈夫。
お茶筅は泡立て器で...というわけにはいかないので、竹のお茶筅をお茶屋さんで購入(1500円くらいだったかな)しましょう。

和室がない、床の間がない?  大丈夫です。お座布団が一枚あれば、そこがあなたの茶室。あなたが座ってお茶を頂くその空間こそが、あなたにとっての茶室。聖なる空間。

Wherever you sit and enjoy tea, you create your sacred space for tea.

見立ての世界、イマジネーションの世界こそが、お茶の世界の本質でございますのでね。

3. 花嫁修行

昔はお茶やお花は、花嫁修行(なつかしい言葉ですね)とされていて、現代っ子の私は、結婚した後お抹茶をたてて、床の間に花をいける生活なんてくるのだろうか?と訝っていましたが、

予測通り今は、完璧なお茶の世界のしつらえの中でお茶を点てることはないけれど、お茶を通して身についた気づきのエッセンスは、今の私を支えてくれている何よりの薬となっています。

一服のお茶を味わいながら、お稽古の時の静寂なひととき、実家のお座敷の光景や、お湯がしゅんしゅんわく音、少女の頃の思いまでが両手のぬくもりの中に、一瞬にしてよみがえってくることもあります。

瞑想という言葉は知らなかった少女の時。30年後の世界がこんなにもめまぐるしい変化の時になるなんてことは、あの頃の想像を超えていたでしょうが、何故だかわからないまま魅力を感じて身につけていたことに、今しっかりと守られています。花嫁とやらになった覚えはないけれど、感性もからだもやわらかい間に、茶道という名の「型」の中に身をおき、身の中に「型」をおいていった体験は何よりの宝になっています。

4. 伝統とその教えの源に感謝を

修行といっても、もちろんその頃は修行だなんて思ってもなかったでしょうし、日本の文化が好きでお茶やお菓子やあの空間が好きで、その中でこつこつと、からだや感覚を通して「遊びながら身につけた」ことが、今振り返れば修行になっていったわけです。

禅寺にこもらなくても、日常と非日常の間を行き来しながら、心の眼を開く修行の形をこのようにさりげなく残してくれている、日本の文化をとても誇りに思います。

茶道のもともとはある星からやってきた教えだという説もありますので、その星の方々と日本に心からの感謝を捧げながら、今日も一服のお茶を頂いております。

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by awakeningarts | 2018-05-14 14:36 | 法子ブログ | Trackback | Comments(0)
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