新しい目
2006年の年末、次の年にむけての思いを探っていった時に
私の内から出てきた言葉が、「日本人であることを越えたい」
というものでした。
それが具体的に何をさすのか、その時はわからないまま新しい年を迎え、
その思いに関連した様々な展開がありました。
2007年も終わりに近付き、そろそろ来年の事を考え始めた先日
こんな会話が、英語のレッスンの時に飛び出したのでした。
型と日本文化の話をしていた時に、
生徒さんが、とても深い話を当たり前のようにするのを聞いて
「それは素晴らしい事だから、ぜひ英語で書いて世界の人に伝えてほしい」と
私は思わず言ったのでした。
それは、いつも私がフリントから言われていること。
お茶をいれて姿勢を正して頂きながら、日本のことを語る私に、
「君はそれをあたり前だと思っているだろうけれど、外国人が聞くと
とても深遠なことを話しているのだよ。」
まさに、彼がいつも私を眺める目で彼女の思いを聞いていたのでした。
「外人の目になってきたのかもしれないね」という私に
「先生は外人の目でなくて、新しい目を持っていると思います。」
この言葉にはっとして、目が覚めた思いがしたのでした。
私が今年の目標として掲げていた「日本人であることを越えたい」というのは
このことだったのだ..と。
越えた先がどこか他の国の人になるのではなく、新しい目を持つ事。
水平に国境を越えるというより、ここにいながら垂直にのびていく。
それに気づくことができた、貴重なひとときでした。
どちらも先生で生徒になってしまう、日本人である新しい自分にも目覚める
アウェイクニングイングリッシュクラスなのです。
私の内から出てきた言葉が、「日本人であることを越えたい」
というものでした。
それが具体的に何をさすのか、その時はわからないまま新しい年を迎え、
その思いに関連した様々な展開がありました。
2007年も終わりに近付き、そろそろ来年の事を考え始めた先日
こんな会話が、英語のレッスンの時に飛び出したのでした。
型と日本文化の話をしていた時に、
生徒さんが、とても深い話を当たり前のようにするのを聞いて
「それは素晴らしい事だから、ぜひ英語で書いて世界の人に伝えてほしい」と
私は思わず言ったのでした。
それは、いつも私がフリントから言われていること。
お茶をいれて姿勢を正して頂きながら、日本のことを語る私に、
「君はそれをあたり前だと思っているだろうけれど、外国人が聞くと
とても深遠なことを話しているのだよ。」
まさに、彼がいつも私を眺める目で彼女の思いを聞いていたのでした。
「外人の目になってきたのかもしれないね」という私に
「先生は外人の目でなくて、新しい目を持っていると思います。」
この言葉にはっとして、目が覚めた思いがしたのでした。
私が今年の目標として掲げていた「日本人であることを越えたい」というのは
このことだったのだ..と。
越えた先がどこか他の国の人になるのではなく、新しい目を持つ事。
水平に国境を越えるというより、ここにいながら垂直にのびていく。
それに気づくことができた、貴重なひとときでした。
どちらも先生で生徒になってしまう、日本人である新しい自分にも目覚める
アウェイクニングイングリッシュクラスなのです。
by awakeningarts
| 2007-10-31 10:51
| 法子ブログ
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