この泥があればこそ咲け蓮の花

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18日の大阪の地震の後、えも言われぬ、落ち着きのなさを体験していました。

そして昨日の夏至が過ぎ、今日は出張セッションから帰る道で、満ちていく月が頭上に輝くのを見ながら、久しぶりの落ち着いた空気を感じておりました。

エネルギーがかき回されていた数日間、私の精神状態も、普段は静かな水底の泥がかき回されて、水の中全体がにごってしまったかのような不透明な状態でした。

そんな中、夏至の夜に久しぶりに虹の島(新しい名前に変わっています。)へ行き、山の上の島全体が見晴らせる所で瞑想をしていたら、突然カラスが現れたのでした。

あまりに意外だったので「えっ?なんでここにカラス?、私カラス嫌いやのに!」と一緒に瞑想していたフリントに伝えようと、英語で口にしたくらいです。

が、そのカラスの登場が、その時のひどい精神状態の諸々のこんがらがった糸を、するするとほどいてくれたのでした。

といってもカラスがくちばしでほどいてくれたわけではなくて、私にとって「カラス」がシンボルとして表しているものって何か?と思った時に、「ああ、そうか」と気づいた事があり、その気づきによってほどかれていったのでした。

それはまさに、普段は水底で静かにしている自分の中の泥のこと。それがあることを知りつつ、否定して隠そうとして、自分を疲れさせてしまっているという事。泥が嫌いで嫌で、清い水だけでありたいと思うのだけれどそうはいかない。関わる世界は、ご親切にもそんな精神状態をそのまま映し出してくれる。

その状態が増幅されたような体験がこの数日続き、ピークに達していた夏至の夜、カラスが「そこを見ればいいんちゃうの?(よいのではないですか?)」とでも言うかのように現れ、もがきから救い出してくれたのでした。

カラスの背中にのって、ヒューッと島全体を空から見おろすこともできましたし、ああ、こんな形で解決がくるのだなと、心からほっとした夏至の夜でした。

丁度今日から外に出かける仕事も入っていて、始まった途端バシッとスイッチが入る音が聞こえるくらい切り替わりがおき、身体全体に新たな調べがみなぎってきたのでした。そのことにもびっくり!でした。言葉で表すなら「慈愛」かな。

ありがとう、カラス。だからといって、カラスが好きになったわけでもなく、そこがまた良いよな。という結末でもあります。ちなみに後でフリントと話していて、「Raven わたりがらす」だったのでは?と検証したのですが、この時のは普通のカラスのようです。

頭の批判を一瞬にして追い出す、身体全体にみなぎる慈愛」。今回のありがたいギフトだったなと、あのスイッチの感覚を意識的に使えるようになりたい、という新たな目標もできました。

これを書きながらイメージは何を置こうかな?と思って出てきたのが、上の蓮の花でした。

この泥があればこそ咲け蓮の花 --- 与謝蕪村

書く事で、美しい気づきの花が咲きました。読んで下さる皆様に、そして落ち着かない暮らしの中におられる方々に、届く何かがありますように。





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by awakeningarts | 2018-06-23 01:12 | Trackback | Comments(0)
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