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お盆〜光の共鳴〜こちらとあちらで

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今年はみなさんとお会いしたりお話したりする中で、身近な方々がお盆としっかりと関わっておられることに、感銘を受けております。そして、私達の世代が「お盆」を実際に執り行う世代になってきていることに、今更ながらに気づかされます。

私は嫁の役割を果たす責任がなく(そもそも文化が違うし)それをされてる方達はおえらいなと関心しながら、実家のお仏壇を掃除したり、おろうそくやお線香をともしたりしています。

そして、ふと気になって調べてみたら。

「浄土真宗ではお盆は特にしない。」と、お坊さん達がおっしゃっていてびっくり。

お盆という行事は仏教のものではなく(他の仏教国にはそのような行事が無い)、中国経由で仏教が伝わる際に、シルクロードを通って伝わった他の宗教行事とミックスして、日本で独自に発展したもので、仏教の心を味わうには伝統的な意味で必要な行事でありますが、霊魂が帰ってくると言う考え方は仏教には無いので、浄土真宗ではそのような考え方につながるお盆での特別なことはいたしません。新盆でも同じことです。

なお、お盆の行事は、宗教行事というよりも地方独自の民族行事ともなっておりますので、日本全国一律の作法があるのではなく、地方ごとに、その土地の特産物などを取り入れた独自の飾りつけも残っています。その中には、浄土真宗では行わないことになっている提灯や灯籠等もありますが、迎え火や送り火は全国的に浄土真宗では行っていません。

l浄土真宗の新盆の迎え方について

亡くなった方がこちらに帰ってくるかどうか、という解釈が
上記のページにのっていますが、思ってたより深い話です。

.....つまり往生したものは必ずこの世に還って来て、衆生を仏道に向かわせる活躍をすると言っているのです。.....「謹んで浄土真宗を案ずるに二種の回向あり。一つには往相、二つには還相 なり。往相の回向について真実の教行信証あり。」とあります。往生浄土という人間が浄土に生まれて仏となっていくすがたを往相といい、浄土真宗の救済である阿弥陀仏の本願の活動が往相回向であると述べています。

そして、一度浄土へ往生したものが浄土からこの娑婆へ返って来ることを「還来穢国」と言いますが、仏となったものがこの娑婆(穢土)に住む人間の苦しみを救おうと、浄土にじっとしていないでこの人間の世界に戻って来る(還ってくる)すがたを還相といいます。 
したがって、還ってくるのですが、決して私たちのカレンダーの都合でお盆の時期ということではなく、「いつでも、どこでも」なのです。

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今まで何となく思っていたお盆と、全然違う気がいたします。
そこで疑問に思うのは、「浄土へ往生した方に、私を救うためにこちらに還ってきてもらう必要があるのか?」ということなのですが....。

本当に浄土にいかれたのなら、そこから光を送って下さるのが一番よいような。
こちらからの光と、向こうからの光がつながる。そのことを祈って光と祝福を送れば、よりパワフルな共鳴がおきて、それは「救い」よりもっとエンパワメントになるように思います。

浄土にたどり着いておられないなら、今いるところから阿弥陀さまの光の方を目指していって下さいと。こちらからお伝えしたいと思うのですが、それはシャーマンのワークになってくるのか、私なりにしてみたらよいのかな。

昨日我が家では、何十年来仏壇の上にかかっていた額がつけかえられました。

「妙暢」と書かれてあります。

意味を調べてみたら、「要妙を究暢し」の「妙暢」で
経典の本旨を究め尽くし、通達すること
大事なところを極めのべること なのだそうです。

伝統や風習を鵜呑みにするのでもなく、かといって疎んじるのでなく、その本質を理解し受け継いでいくこと。そして、その本質を本当に働かせる力、祈りの力を高めること。

フナやスピリチュアリティ、シャーマンの実践ワーク@お盆2012です。

そして、「これからその仕上げに入っていく」という感覚がやってきてもいます。
by awakeningarts | 2012-08-14 01:32 | 法子ブログ | Trackback | Comments(0)
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