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スピリチュアリティの着地点

スピリチュアリティの着地点というテーマで文章を書こうとした。スピリチュアリティを学んで、眠っていた自分を目覚めさせて、その先に何があるのか。どう日常生活で活かしていけばよいのか。大体そんなことを書くつもりでいた。でも、一行目を書こうとした時点からもうその発想自体が違うという気がしてきた。きっとその「もう違う」ことが書きたくて、この「スピリチュアリティの着地点」という言葉がやってきたのだろう。

生きている中で既にここに着地している自分。生まれた時からこのからだに着地している私がいて、今さらどこに着地しようとしていたのだろう。その先と思っていた先は今ここにあるということ。どう日常生活にいかすかどうこうでも、もうないような気がする。干してある洗濯ものを眺めながら、瞑想するでもなくぼんやりしながらそう思った。

「こんなことで悩みあくせくしている自分が、情けない。こんな低次元なところではいずりまわっていないで、早く先へ進まなければ。」昨日も私の頭の中ではこんな言葉がぐるぐるまわっていた。でも「こんなこと も あんなこと もない」「ただ今直面しているそのことがあるだけ、それを体験しつくす」そう思ったら解決がやってきた。

体験しつくすこと と 日常に埋没してしまうこと。

だからといって、日常に埋没してしまえばそれでいいわけでもない。埋没するとは、おきている出来事にふりまわされてしまうこと。意識的でなくなってしまうこと。

体験しつくすとは、同じ日常の体験を生きながら、複数の視点を持つことかなあと思う。複数という言葉を使ったのは、高い視点(ハイヤーセルフの視点)を持つだけでもないような気がするから。体験しながらはいずりまわっている自分の視点も無視せずに、(ここが一番頑張ってて尊いと思うから)それを見守る視点と、そして二つをつなぐ理解の視点。

人間としての体験も理解しつつ、高い視点からの見方もわかる、両方をつなぐ視点・意識。そこが大事なのだと思うし、養っていきたいと思う。

つらい現実や先の見えない不安な日常、そこから抜け出す手がかりともなる高い視点。これとそれとの両方を、どちらかの視点で解決や包み込んでしまうだけでなく、波のリズムのようにいったりきたりしながら、こちらの波とあちらの波が交差する点。体験が咀嚼されてエッセンスとなる中間点。そこが今の私の着地点でありたいと思う。

スピリチュアリティというものへの思いも、年月とともに変わりつつありますね。スピリチュアリティの着地点というより、結論は自分の今のよって立つ地点に落ち着きました。それでいいのだ〜。

スピリチュアリティの着地点_e0115301_1944187.jpg

by awakeningarts | 2010-05-18 19:31 | 法子ブログ | Trackback | Comments(2)
Commented by azusa at 2010-05-19 15:40 x
すごーく素敵で深いshareをありがとうございます!
うん、感覚として伝わってきます。
何度も読み返したくなる銘文です!
Commented by awakeningarts at 2010-05-20 14:13
こういう文章を書いて共感してもらえることって、つくづく幸せやなあと思います。ここまで人間やってきて(私をやってきて)よかったなと思えるのです。こちらこそ、いつもハートのshareをありがとうございます。
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