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不惑から知命へ〜再誕生の日

誕生日というのは、「その節目を意識して使えば、とても良い成長の機会になる」と実感した今年のお誕生日でした。16日の新月、春分前の切り替わり、それに個人的な誕生日という節目が重なり、今までの私からこれからの私へのジャンプが、例年以上に大きい幅でおきています。

こういう時は色々な出来事が起きてくるので、感情が蠢(うごめ)いて翻弄されそうになります。実際翻弄されてるのですが、起きて来るできごとが、私をどこへ連れていこうとしているのかがわかってくると、その感情が自分をそこへ押し出す力として使える。これは今までになかった視点でした。

もっとわかってきたら、そのようなドラマすら創りださずに穏やかに目的地へ向かえるのでしょうに....、そのあたりがまだまだイベント好きなのかもしれません。

ドラマを楽しんでるだけなら良いのですが、感情につかまったままだと、おかしな判断をしてしまいそうになるので、そこは十分に気をつけないとなと思います。何も特別なことをしなくても、家から外に出て歩くだけで、視点が変わったりしますね。お散歩するのに良い季節になってきましたし。

昨日は誕生日に一人で六本木に行く用事ができ、その後乃木坂経由で赤坂見附までてくてく歩いたのでした。前日には予想もしなかった展開でしたが、後から思えばそうなる流れを自分で創ったなと感心します。

歩いていると、乃木神社があり、本当は通り過ぎようとしたのだけれど、ふと気になってお参りをしました。ふと拝殿の横に小さなお社があり行ってみると、正松神社とかかれてあり、松下村塾の開祖「玉木文之進」がご祭神とのこと。(松下村塾は吉田松陰が開いたのかと思ってたら、伯父の玉木文之進が開き吉田松陰が後を継いだのだそうです。)

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そいういえば日本には、緒方洪庵の「適塾」など私塾が数多くありました。大阪にいた頃「適塾」のあたり(堺筋本町)をよく散歩したものです。自分が学ぶことが、日本の夜明けになっていく。そのような熱い思いで、学びたいことを自らの意志で学び新しい世界を創っていった先人達。昔からそのような思いに惹かれていたのですね。

正松神社に立ち、お誕生日の日にここに導かれた不思議に感謝し手を合わせた時、その熱い思いに又共鳴したようでした。

至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり
(至誠をもって対すれば動かすことができないものはない)

吉田松陰語録より。

今日から新しい一年。そしてまもなく春分。「不惑」から「知命(天命を知る)」の丁度半分の年になりましたが、これからが人生の本番。大きい節目を越え、志を再確認し新しい出発の春を迎えております。
by awakeningarts | 2010-03-18 19:32 | 法子ブログ | Trackback | Comments(0)
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