<   2008年 12月 ( 14 )   > この月の画像一覧

フリントのトランジションワークも終わり、普段の暮らしに戻りつつあります。お食事もお魚オッケイになったので、献立が考えやすくてほっとしています。(先日奈良から柿の葉寿司が届いたので、待ちきれず私だけ先に頂いてしまいましたが。)

このお仕事が入ると緊張した一週間が続くわけですが、献立を考えるのにも気合いが入ります。豆腐ハンバーグ、大豆ミートのからあげ、豆スープ、お豆さんに助けて頂いています。肉魚類を食べないというのは決まりだからというより「実際にすると何故だかわかる」(フリント談)のだそうです。

「この仕事をしてみたいか?」と問われると、未だ「Yes」と即答できない私ですが、側で見ていて話を聞くたびに、その深遠さにいつも胸をうたれます。誰でもができる役割ではないのでしょうが、でもこれから先もっと関わる人が増えていって欲しい役割だと思っています。

私はそばにいるだけでも影響を受けてしまっておりました。否が応でも死ということ生きるということを考える期間にもなりますし、話題もそれに集中しますし、夜中にぱちっと目が覚めて眠れなかったりと色々ある一週間でした。

映画の「おくりびと」が絶賛されているというのも、「死」へのあらたな捉え方が求められているということなのだろうなと思います。

この映画のことは、ほぼ日での本木雅弘さん、中沢新一さん、糸井重里さんの対談で知ったのですが、見てみたい映画です。
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今晩は新月ですね。(12月27日(土)午後9時22分)月が欠けていく間に大掃除をしてしまおうと、一気に掃除を済ませました。

塵や埃や思いが、部屋にも自分にもやっぱり溜まるものだなあと、そして掃除は自分自身のすす払いだなあとつくづく思いながら、はたきをかけておりました。この間からすっかり陰陽師(漫画の方)にはまっており、その中でも清めの大切さが述べられてありましたが、掃除をしてその後自分の身を清めるとすっかり気の持ちようが変わりました。

普段忙しいと、少々の埃は見えないことにしてしまえるのだけれど(いいのか悪いのか)清めのスイッチが入りおおがかりな掃除モードに切り替わると、自分の中の巫女が目覚めるのであります。お陰様ですっきり!良い年を迎えられます。

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e0115301_19345789.jpg我が家は今年の始めからお肉とおさらばしたので、「今年はお魚のクリスマスね」と一応メニューは考えていたのだけれど、シャーマンなお仕事が急に入ったので、お魚もなしのとってもベジなクリスマスを過ごしております。

でも別に寂しくもなく、不思議にせいせいした気分です。チキンだクランベリーだグレイビーソースだとやっきにならなくてもよいし、買い物に出ても喧噪の中で「ああなんて自由なんだろう」と妙なつぶやきをしている自分に気づいています。季節の行事に沿う事は好きで楽しかったのですけどね。いったん自由になりたかったんだろうな。

おいしいシュトーレンを頂いたので、それはとてもクリスマスな気分でおいしいお茶と共に頂きました。お菓子とキャンドルとみかんが、シンプルな私のクリスマスのお供え。

e0115301_19395265.jpgそして今日たまたまカレンダーを見て知ったのですが Kwanzaaという、アメリカに住む多くのアフリカ系の人々が祝う大切な日(12月26日から1月1日まで)があるそうです。日本語の説明はこちらからどうぞ。7日間をアフリカ大陸から伝わる7つの原則に則って過ごし、1月1日を迎えるのだそうです。

丁度気ぜわしく時がたってしまいがちな7日間を、一日ずつテーマに沿って過ごすのは、なかなか良いアイデアだなと思っています。クリスマスも私なりに、この間の7日間もお正月も私なりに祝いたいなと画策中なのです。
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冬至の夜にe-Learning コースページができました。
自分でもここまでかなり頑張ってきたと思えるので、とっても嬉しいです。

これからが始まりで、まだまだ創っていっている最中なのですが
ひとまず私達のVisionとe-Learningコースの流れのページをアップしています。
音声サンプルもありますので、フリントと私の声聞いてみて下さい。

新しい試みですので、色々とご意見を聞かせて頂けると嬉しいです。

こちらからお入りください。

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バイリンガルのフォーラムがオープンしたので、あちらにも書きたいことがあり、このブログは自分の日記として書き続けたいしどうしましょと思っていたら、休眠中だったmixiまで訪問して下さる方が増え、嬉しいいそがしさになってきました。
(追記;Mixiは年末で退会しました)

最近英語に関する日記がへってるのも気になっていたので、このブログに書いたことを、フォーラムに出ているトピックと関連あるところに英語にしてのせることにしました。日本語で最初に書いたものを英語にすると、日本人英語だなあと思うところもありますが、気にせずのせてあります。(一応ネイティブのチェック済みです。)まずはSpirit in the City の欄にTea Meditation のタイトルで出ています。

フリントの投稿しているところ(冬至のメッセージをアップしました)は日本語に訳してますので、どちらも英語の勉強に使ってみて下さい。もちろん書き込んで下さっても大歓迎ですよ。

12月後半は忙しくなってレッスンがお休みがちになりますが、英語にふれる機会はなるべく意図してつくりましょうね。ノーベル賞の益川教授も「私がいうのも変に思われるかもしれないが、英語はできるに越したことはない」と朝日新聞への寄稿で書いてらっしゃいましたしね。

"スウェーデンやノーベル財団には、私が強く感じたことは、日本のお茶などでいうところの「おもてなしの心」というものが、まだ強く生きているということだった。"
とも書いてらっしゃいました。この事についても書きたいですが、又次回。
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久しぶりに夢らしい夢を見た。

京都の友人から電話があり、「今大変なのよね、こういう状況で..... (省略)」と彼女が英語で説明するので、私がWhat can I do for you?といった途端に、その京都の家に私はいた。

そこは修学院の広い土地に畑があって、彼女はそこを耕して暮らしている。畑の向こうに山が見える。e0115301_17343254.jpg私はここが以前に来た場所だということを知っている。向こうに山がみえ、トンネルの入り口がある。今はそこを通ってむこうがわにいけるのだ、と私は感心している。畑と山の間が湖になっていて、近づいてトンネルの中をのぞくと、その山はチチカカ湖の トトラ(葦)のようなものでできているのが見えた。どこかのおじさんが現れ、トンネルをくぐっていこうと水に飛び込んだ。私は泳げないしな。と思っていると夢は違う場面に移り、別のストーリーへかわっていった。

あまりに印象的な夢だったので、起きてからもう一度意味を知る為に内なる旅で夢の景色に戻ってみた。そうすると、ボートがあらわれた。「ああなるほどね、泳がなくても向こう側にいける。なんてグッドアイデアなの。」と思いながらボートにのりこみ、トンネルの入り口から入っていく。e0115301_058632.jpg「あれおかしいなあ、すすんでいかないなあ。」と思ったらそれはrow boat - 手で漕ぐボートだった。「自分で漕がなきゃ進まないんだね。はいはい。」と漕ぎだす。最初に入り口から見たときは、トンネルの先がすぐそこに見えたのに、漕ぎだしたら思った以上に時間がかかる。夢や内なる旅の中での時間はいつもの時間の感覚とは違うのだけれど、この「思ったより時間がかかる」という感覚を感じる体験だったように思う。実際にからだを動かしてボートを漕ぐ動作もしてみた。

修学院は縁の深い場所で、以前住んでいた地域でもあり9年前にフナとフリントと出会った場所でもあるわけです。その時から今までの日々が、そのトンネルをボートですすむ日々だったのかなと、そして自分で漕ぐ事でついた力があり、力をつけた上でむこうにたどりつく事が大事だったのだということ。などをこのイメージから教えられたようです。

そして、たどりついた先は「湖」。それはまさに昨日ぱらぱらとめくっていた、「ベロボディアの輪」に出てくるSpirit of Lake  精霊の湖のイメージでした。色々ここからがおもしろくなりそうなのですが、きっぱりと「今日はここまで」という声がして終わりとなりました。

夢といえば先日のスピリチュアリティの学際研究会で、ユング心理学研究会の先生とお話をさせて頂いたり、修学院に住んでらっしゃる先生に、修学院の風景の写真をたくさん見せて頂いたりしたのでした。そして何故久しぶりにこんなに鮮明な夢を見たのかと思ったときに、昨日食べたある「食べ物」のせいかもしれない。とふと思ったのでした。それは秘密にしておきます。

おもしろい夢を見て、意味が分からなかったりその先を見てみたければ、もう一度戻って自分で探求してみる。内なる旅は役に立ちますね。

上のボートを漕ぐ女の子の絵は、フリントが見つけてきて色までつけてくれました。感謝。
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先日「はやい」というつぶやきを書きましたが、さらなる加速が続いております。書いておかないと、体験が消化されないままあっという間に過ぎ去っていきそうなので、いつもの通り自分の気づきを言葉にする意味で書いております。

日曜日に出席させて頂いた「スピリチュアリティーの学際研究会」の冬のシンポジウム。そこで、ファシリテーターまり庵さん独自の手法”タロット”がとりいれられた「表現アートセラピー」に参加したところから始まります。ひいたカードが The Magician. 頭にインフィニティマークをつけたMagicianが、右手を高だかとあげている絵でした。その絵を見ながらふと出てきた言葉が”I am" I am the Magician.とつなげてしまってよいものかと、Who am I? 私はいったい何者なのだろう?なんて問いかけながら踊り、絵を描いてシェアをして(すごいでしょ、色々な手法をクライアントさんや参加者にあわせて使っていくという、とてもすばらしい方法を表現アートセラピーはとってらっしゃるとのこと。私好みです。)たくさんの気づきを頂いて帰ってきました。”I am"という言葉が出てきたのは、朝の英語のレッスンで丁度 I am that I am. 我は我たるものなり、という話をしたところだったからでもあります。

スピリチュアリティーの学際研究会の事、とっても素敵な主催者の方の事などあらためて、又書いてみたいと思います。ミクシーでコミュニティがあります。

そして次の日の朝。奈良の友人が東京に来られてたので会い、いつものように共通に興味のあるクリムゾンサークル(I am that I am.という言葉は、このクリムゾンサークルのジェフリーがチャネルするセント・ジャーメインに、たたきこまれた(?)言葉でもあります。)やらシャーマンの話やらで盛り上がり、極めつけに「コロンビアのシエラネバダの山に住む部族(コギ族)はシャーマンのことを、カフナというらしい」という話を聞き、興奮して家に帰ってきたのでした。シエラネバダとかコギ族というのは、確かどこかで聞いた名前だと思ったら、ドランヴァロのハートの聖なる空間ヘの本の中に出てきてました。原書の方は内容が全部読めるサイトがあります。

先日ハートヴィジョンの話を書いたところに、しばらく忘れていたこの本のことを思いだし、グッドタイミングで必要な本が私のもとに帰ってきてくれました。ハートヴィジョンコース終えられた方はとくにおすすめです!そして今日図書館では、とてもわかりやすく美しい禅の本とシャーマニズムの本が目についたので、借りて帰ってきたのでした。

素敵なみなさんとの出会いや、情報や本がどんどん集まってきていて、その中で気づきがまだまだ続いています。
I am that I am. という意識を中心におさめること。
ハートの聖なる空間に入ること。
フナやシャーマン(インターディメンショナル)の実践。
新しいヴィジョンを創造していく。などなど。
この何年間かあちこち探求してきたことが、おさまりつつあるようです。
そんな中で今、e-Learningのヴィジョンを言葉にする最後の仕上げにかかっています。

(今、様々なところからお越し頂き、初めてこの日記を読んで下さっている方も多いと思うのですが、いきなりあちこち話がとぶ日記でごめんなさい。)
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お菓子の事は先日書いたのですが、ついに一昨日パンにも挑戦!

それができたのも、友人から頂いた「ものすごく合理的で化学的で、あっという間にパンが焼けるレシピ」のおかげなのです。
〜イーストは古い、強力粉がないので薄力粉で、上白糖がないのでてんさい糖〜
というとんでもない条件で作ってみたのですが、やっぱり「焼きたてのパンにまさるものはなし」の格言通り(?)オーブンから取り出したばかりのパンは、かなりのおいしさでした。このレシピ本当にすばらしいです。

パンづくりは初めてではないのです。結婚前にしばらくルームメート(ハウスメートかな)だった女の子は、天然酵母のパンを焼く人でした。その頃家でコミュニティセンターもしていたので、天然酵母のパン教室&私のフラレッスンを毎月開催していました。まずパン作りを習って、発酵を待つ間にフラを踊って、おなかがすいた頃にパンが焼けてくるという夢のようなレッスンでした。その時に私も習っていたのですが、結局は自分一人でつくる勇気はないまま、結婚し今にいたっていたのでした。

それがおとといの朝、「えいっ」と思い立ちやってみたら「できた〜。」
これは子供の時に自転車にのれた時のような、嬉しさでした。いくつになっても新しく何かができる体験ってよいですね。

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はやい。

時間のたつのもはやいけれど、物事のすすんでいきかた自体が「なんだこれ〜っ」て感じの毎日です。

ふとアイデアがわいて、それを形にする手段を探して試してみて、うまくいかなかったらその要因を探って、次なる手段を探してみる。そうすると必ずよりよいものが見つかる。困ったなあと思うことがあっても、「もうぐずぐず先延ばしににして悩んでる場合ではない」という気持ちの方が先にたつので、(何分間はやっぱり悩むのですが)行動を起こしてみて、交渉してみればうまくいく。

いつ頃からだろう、「意図をはっきりと持って行動する。」ことに目をひらかされてから、いざという時に必ずこの「意図」が活躍して効果を発揮してくれる。そういえば、ハートヴィジョンのコースで「意図」の実習をみっちりとやった頃からだなあ。あの時もシェアしたのだけれど、環境に反応して事を起こしていくことが多かった私には、「意図をはっきりと持って行動する。」は、長らく置き去りにされていたことでした。

その前のスピリット・オブ・ヒーリングのクラスの時、「意図を持たずに行動する人」の例をフリントがしてみせた時、「まさにわたし....」と心の中でつぶやいてしまったくらいですもの。後で「あれって私のこと?」て聞いたら、笑ってましたけど。

ハートヴィジョンのコースは、これってシャーマンの修行やわあと思うような実習がいくつかあって、それをみなさんしっかりこなしてらして、いつもシェアをきいて感心していました。おかげさまで、私自身この12月にとても重宝しています。

「意図」を明確にしてその「意図」のヴィジョンをしっかりと保って行動する。
この「はやい」世界で生きていく上で、とっても大切で役に立つ魔法の杖のようです。

ハートヴィジョン・コース
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サージキングさんが書かれたHunaの本「ハワイアンヒーリング」の訳者の岬さんのあとがきのところに、「五十鈴」の話がのっているのを、ふと思いだしました。

「我々人間は誰でも、3人の自分を持っているということになります。
自分だと意識している自分とその力の働き(イクムスビ)
潜在意識の自分と他の力の働き(タルムスビ)
自分を越えた自分の大調和世界の働き(タマズメムスビ)
それぞれが、フナでいうところの顕在意識、潜在意識、超意識に対応しています。」

そして天河の五十鈴を見ていたら、ケルトのトリスケルの模様も思い出したりして、
意識は世界をあちこち旅している今日この頃。

「ケルトの神話には、海の神にマナナン Mannaninというのが居て、ティル・ナ・ノグと呼ばれる常若の国に住んでいる。」という一節を読んで何故だか胸がどきどきしています。     ティル・ナ・ノグとかニライカナイって言葉を聞くだけで、なつかしくて泣きそうになるのです。魂の故郷が恋しいのね。

フナについて

フナのワークショップ

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