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いにしえに新しく

着物を着ている感情体の続き...

先日は「着物=締め付けられて苦しい」という観点から書きましたが、
着物自体が重くて悪いとは、私は思わないのです。
こんなエピソードを一つ。

結婚の披露パーティーに、着物を着たのですが
その日は朝起きたら気分が悪く、(緊張してたのでしょう、きっと)
この大事な日を乗り切れるのか私?と不安になり、
「調子悪いから着物はやめて、洋服にしようか」と悩んだのでした。

それでも何とか美容院に行き、着付けをして頂いて
(そこの美容院の着付の方は、私は日本一と思うほど上手なのです)
あるポイントを、腰紐でぎゅっとしめて下さった時に、
背筋がしゃんとのびで、からだにエネルギー(活力)がよみがえったのを感じたのでした。その一瞬に、「これで大丈夫、今日は一日やっていける!」と感じたのをおぼえています。
そして実際、あの忙しかった披露パーティーを
無事笑顔で終えることができました。

着物はある意味、からだをしめつけるものではあるのですが、
けれども、やみくもに締めているわけではなく
ポイントをおさえた緩急(あるところは締め、緩める)で
からだを包むことで、からだに軸を通らせ、
英語で言うアラインメント(一直線に整列する)させる型が
できているように思います。

軸が通ってしゃんと背筋がのびて、腹が座った姿勢でいると、
本当は着物の方が疲れない(はず)なのですが、
日常の姿勢とは変わるので、着物用の身の保ちかたに
慣れなくて疲れる、というのは確かです。
何と言うか、「着物に着られてしまっている。」
ー帯をしょって、ふうふう言いながら着ている感じかな?ー
と、とても重いものになってしまうようです。

けれども、うまく着物とからだ(呼吸もかもしれません)が
響きあっていれば、からだをサポートしてくれる
型になっていると思えるのです。

ちなみに、私は洋服を着ていても
帯締めをベルト代りに使うのが好きなのですが、
からだや気持ちのどこかで、着物の「腹をくくる」位置は
おさえておきたいと、感じているのかもしれません。

このような、着物に対する私のからだの感じ方というのは、
伝統に対する私の思いと似ているように思います。

伝統=古いもの重いもの=悪い のではなく
型を通して受け継いできた、智慧や存在のあり方の中で
忘れ去ってはいけないものが、確かにあるのだと思うのです。

その中に潜んでいる本質は受け継ぎつつ、
重さやほこりがついてしまったものは、削ぎ落として
新しい伝統を創造していきたいと、常々思い描いています。

たらいの汚れた水と一緒に、赤んぼうまで流しちゃだめよ
ということわざがありましたね。
春から始めていく「New ティーセレモニー」も、
そのような思いを込めて、”いにしえにあたらしい”もの
をうみだしていきたいと思っています。

いにしえに新しく_e0115301_161346.jpgよろしくお願いいたします。
ぺこり。

上記の美容室はこちら。
芦屋のフミ美容室
by awakeningarts | 2008-03-14 01:06 | 法子ブログ | Trackback | Comments(1)
Commented by まりあん at 2008-03-14 16:37 x
いいお話ですね。ほんとほんと。同感です。私も「和」のものにとても惹かれます。もともと外国のもの大好き!なんですが、自分の文化である「和」も大切にしたいと思っています。実は、能楽、大好きです。茶道も極めればおもしろいものなのでしょうね。家元制度とかが私にはあわない・・と思ったので、お稽古としてはやらなかったけれど、茶道や能の世界にはひたりたい。新しい形の茶道期待しています。明日は参加できずごめんなさいね。でもいつか新しい茶道を堪能できる日を楽しみにしています。
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