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親鸞は浄土へ行きたいと思わなかった

いきなり、どうした!このタイトルは。

ほぼ日刊イトイ新聞で、今日から始まった
吉本隆明さんと糸井重里さんの対談を読んで
出会った言葉です。

私の実家は浄土真宗。
子どもの時からお仏壇の前にちんまり座り
「南無阿弥陀仏」を唱えて育ったのですが、
知らなかった、こんな会話がなされていたとは。

例えば『歎異抄』 (たんにしょう・親鸞の弟子の唯円がまとめた、
親鸞の語録とされているもの)の中で、唯円が親鸞に
「我々は浄土教ですが、浄土というのは、死んでから行くことのできる
 安楽ないいところだといいます。
しかし、私はちっとも浄土へ行きたいと思わない。それは、なぜでしょうか」
と質問した、という場面が出てきます。

すると親鸞は 「俺 もそうなんだ」て、答えた。

人間の煩悩は、いまいるこの世に執着を醸し出すものなんです。
だから、煩悩ある人間にとっては、
いくら「安楽な浄土だ」と言われても、
そこへ行きたくない、この世にいたい、
と思うのは、普通なんだよ、ということなのです。

これは、聖ジャーメインのドリームウォーク(死のプロセスの移行を援助する)
にも通じる話ですが。

そうなのか、と感心しつつ。

昨日おとといから、眠りにつく時に
「この世の天国感」 が感じられ (変かな?)
わざわざ死んでからいかなくても、ここが天国なのねと
今までになく思えるようになったのでした。

普段の日常の暮らしの中で、ばだばたしていると
とても、そんな風には思いないのですけどね。

そういう意味で、私は浄土に行きたいとは思わないのでした。

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by awakeningarts | 2007-10-12 11:22 | 法子ブログ | Trackback | Comments(0)
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