絶望こそが希望である

先日友人と話していて、「その場で実際に震災を体験していない私達が、東北で震災を体験した方の話を聞く時に、本当にその人の気持ちがわかるのだろうか?」という話題になった。

その時にふと、河合隼雄先生の著書の中の「カウンセラーの態度と理論」のある部分が思い出された。(いつも通訳用バインダーにコピーをいれているので、そこから抜粋させて頂きます。)

「共感的理解というのは、その人のされたことと、私のしたことがよく似ていて共感できるのではなくて、その人のしたことと、私の体験とは相当違うのだが、あるいは違うが故に、その違う体験を共通に感じ合おうとしてこそ、二人は深い理解に至るといってよいかもしれません。」

「...共感的理解というと、人が家出をしたいという気持ちが、そのまま自分に伝わらなければならないと思ってしまう。それよりも自分の体験と、今話をしているクライアントの体験との共通の因子、そこまでおりてゆくのだ、ところが、共通の因子にまで到達するには相当深くおりていかねばつながらない。だんだん深くつながっていくと、たとえば家出ということのために、自立につながっていく。あるいは自殺ということは、そこから大きな立ち上がりを経験しようとしていることが、われわれの心につながってくることになるのです。」

今日東北ライトワークの時間、自分のテーマが浮上してきて、東北の方へのワークに全然集中できなかった。しかたがないので、自分のインナーワークに切り替えたら、自分の中の絶望感や無力感、望みの失われた感覚がおしよせてきて圧倒されてしまった。

その波の中で溺れそうになっていると、ふとある言葉が思い浮かんだ。と同時に目をあけて、目の前においてあった石を手につかんだ。その言葉は私にとっての未来の希望。その石はその言葉のシンボルでもあった。

「どんな状況にも必ず希望がある」

言葉でいうのは簡単だけれど、本当にそれが自分はできるのか?
まさにそれを試されたような、今日のワークになったのでした。

自分自身の絶望感にふれて、そこから希望の方を選択する。
自分の内なるワークをしっかりすることも、一つの祈りの方法になるとも思えたのでした。

ディープエコロジーのジョアンナ・メイシーの著書に「絶望こそが希望である」という本があるのを思い出しました。

「ジョアンナ・メイシーの活動の核心は、この「絶望」を避けることなく、むしろこの絶望を健全な反応として受けとめる中で、万物とのつながりあいに目覚めていく、そして、深いやすらぎや思いやりの心を育むとともに、自分なりの一歩を歩み続ける希望と勇気を見いだしていくことにあります。」

昔読んだ時にはよくわからなかったけれど、今読んだらもっと共感できるかもしれない。「世界は恋人、世界は私」という本もあった。今度実家に帰ったら探してみよう。

内なるワークについては、
こちらのHPをご覧下さい。


アウェイクニングアーツ・ライシーアムHP
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by awakeningarts | 2011-04-11 21:01 | 法子ブログ | Trackback | Comments(2)
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Commented by awakeningarts at 2011-04-15 16:31
>その違う体験を共通に感じ合おうとしてこそ、

>共通の因子にまで到達するには相当深くおりていかねばつながらない。

ふと読み流してしまいそうですが、これらの言葉は、河合先生が実践してこられた生身の体験からの言葉だなと、深々と頭が下がる思いです。

カウンセリングや心理学の理論だけを読むのは好きではないのだけれど、真摯に実践し続けてこられた方の言葉の中には、真実がきらめいているなと思うのでした。
Commented by awakeningarts at 2011-04-17 18:08
地球のステージの桑山紀彦先生、名前だけは存じてたのですが、宮城県名取市で東北国際クリニックを開業されてるドクターだったことを今日Asahi.comのニュースでたまたま知りました。

被災者の方への心のケアをされていて、その様子が書かれたブログを一気に読みました。

その中で「共感」と「同感」について書かれていました。
http://blog.e-stageone.org/?eid=867091

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